『ギーターとウパニシャッドを学ぶ会』
2018年3月恒例の懇親会が開かれました。
全国からご参加下さった受講生とご家族、マハーラージとともに和やかな時間を過ごしました。懇親会においての「インド文化についてのQ&A」、「受講生の感想」を抜粋し掲載しました。
2018年3月懇親会
「インド文化についてのQ&A」
by スワーミー・メーダサーナンダ師
質問◎ベジタリアン(菜食)という考え方がありますが、動物をいただくということについて教えて頂きたいです。
A; 皆さんにはこのような考えがありませんか? 霊的になるために、またはヨーガをするためにはベジタリアンでなければならない、と。今、論理的に、そして歴史を振り返って考えてみましょう。たとえばキリスト教徒はまったく肉を食べませんか? いいえ食べます。その中に霊的なレベルが高い方はいませんか? います。それが例。肉を食べても霊的なレベルが高くなることは絶対にある。たとえばシュリー・ラーマクリシュナと霊的な弟子(の一人か二人以外は)はみな魚を食べます。ホーリー・マザーもノンベジでした。そうした方々の霊的なレベルは低いでしょうか? 今反対に、ベジタリアンの方でも、心の中に、いっぱい暴力、憎しみ、嫉妬がある方がいませんか?(*菜食は非暴力の実践と考えられている) その方は霊的な人ですか? ──霊的なレベルが高いかの「基準」は、ベジタリアンかノンベジタリアンか、ではない。基準は心です、心の状態です、心がきれいかどうかです。ですけれどももちろん、食事については気を付けないといけない。好きなものを欲望にまかせて食べていては心のコントロールができなくなり、心の静けさ、清らかさが得られないからです。何に気つけて食事すべきかというのは、ベジタリアンであってもノンベジタリアンであっても、まず食べ過ぎないこと。毎日肉を食べないこと。お酒を飲まないこと。これが論理的な意見だと思います。
質問◎今のインドの首相がヨーガ行者だったということは本当ですか?
A; インドのモディ首相は、ずっと前からヨーガをしていました。国でもっとも忙しい人は国の首相かもしれません──が、首相は(確かな時間はわかりませんが)毎日絶対にヨーガと瞑想をします。それをしてから仕事に入ります。私たちはいつも、忙しい、時間がないと愚痴を言っていますが、国の首相でさえヨーガと瞑想の時間を持てる、ということを考えてください。すると私たちは本当に忙しいのか、という疑問が生じます。では忙しい首相になぜそれができるのでしょうか? それは自分の心、自分のスケジュールをコントロールして、時間のマネージメントをするからです。一方私たちに、どうしてそれができない? 時間を無駄にしているからです。どれが大事な仕事、どれがそうでもない仕事、と区別ができていないからです。毎日たくさんのメールチェック、その返信、テレビ、おしゃべり、長風呂、睡眠の7,8時間・・・となんでも大事なように生活しています。そうではなく、大事か大事ではないかの識別をして、それらの割合をコントロールします。すると時間が出ます。その大事な時間を、瞑想のために、勉強のために、ヨーガのために、自己成長のために使ってください。私たちは、大事な仕事のことを考えず、大事ではない仕事で忙しくなっています。ですが「なぜこんなに忙しいのだろうか?」と内省すると、新たな気づきが生じます。
2018年3月懇親会 受講生:感想スピーチ
Aさん
わたしは2011年の大震災をきっかけに、自身の「死」 を大きく意識するようになりました。自分がいつか迎える「死」 の瞬間に後悔しないように生きるためにどうしたら良いか考え、 すべきことを頭の中で整理し、 可能な範囲で行動に移していきました。 その過程で抗いがたい欲望も浮上し、 その欲望とどう向き合ったら良いか悩んでいました。 その欲望は満たすことも困難であり、 かといってずっと抑圧することも自身を消耗させ続けるため、 何とかしたいと思っていました。 わたしはこの勉強会に参加したことで、 自分の欲望とどう向き合うかのヒントを得ることができました。 そのヒントをもとに、自分なりの判断基準を持ち、 人生に活かしていこうと考えています。 初めて勉強会に参加した日は、 スワーミーが読み上げる聖典の声から、 神様の精妙なバイブレーションを感じたような気がしました。 すっかりサンスクリット語の響きにも魅入られてしまいましたので 、 今後は聖典の勉強とともにサンスクリット語の学習にも取り掛かろ うと思っています。
Bさん
勉強会を1年続けてこれたことをありがたく感じています。唐突ですが私の曾祖父は密教行者で修験道をした人で、また祖父は高野山で修行をした人でした。不思議なことに私を含めて周りには精妙なものがわかる人がいます。またそれがわかるがゆえの苦労も見てきました。私自身もそのようなエネルギーに振り回されて、自分がちゃんと生きていけなくなるのではないか、という危惧を持っていました。そこでそうしたことに詳しい人を探しましたら見つかって、おかげでその状態は脱したのですが、しかしその方は言行一致した方ではなかった。その経験から哲学も勉強せなあかん、と思うようになり自分で勉強し始めたのです。ですがこのような勉強は先生のもとで学ぶべきだと書いてあったので、先生との出会いを想っていたところにこちらの勉強会へのお誘いがありました。毎回勉強に来た時に、お題が自分のその時のテーマとリンクして、なぜかわかりませんが答えをもらって帰っています。たぶん、来るべきときに勉強会に来たのだな、と思っています。これは導きだと思い、正しい方向に向かって勉強させていただいていると思っています。これからもどうぞよろしくお願いします。